前世の物語
そなたは光海七年、漢陽鍾路のとある平民の家門に生まれた。そなたの父は薬草を採る薬草師であり、母は里にて軽き病を診る女であった。貧しかったが、家には常に薬草の香りが満ちていた。そなたの最初の記憶は、母が煎じる薬の匂いであった。 五歳にしてそなたは薬草の名を知り始めた。人参、黄耆、当帰、川芎——母が一つずつ教えてくれた。そなたはそれらを諳んじ、また諳んじた。七歳の時、そなたは庭に小さき薬草畑を作った。幼き手にて土に触れ、薬草の育つを見守った。 十歳になる年、里に大きな疫病が流行った。そなたの父がその病に罹った。母は昼夜薬を煎じたが、父は三日にて去った。そなたはその日初めて薬の限界を見た。されど同時に薬の意味を見た。母が最後まで薬を煎じた、その手の動き——それがそなたを医員の道へと導いた。 十五にしてそなたは一人の医員の門下に入った。そこにて鍼と灸、そして薬を学んだ。師は厳しく、教えは過酷であった。されどそなたは一度も逃げなかった。人を救う事ならば、いかなる苦労にも意味があったからだ。 二十五にしてそなたは韓薬房を開いた。小さき薬房であったが、そなたは富める者も貧しき者も等しく迎えた。薬代を払えぬ者には、そなたが薬草を採りて与えた。人々はそなたを仁徳ある医員と呼び、そなたの薬房の前には常に人の列があった。 三十の頃、そなたは一人の処女に出会った。同じ里の平民の処女であった。そなたらは婚姻し、二児を儲けた。平凡な家庭であったが、そなたにとっては世にて最も大きな幸せであった。患者を診た後家に戻れば、妻が整えた飯床と子らの笑い声がそなたを待っていた。 四十になる年、大いなる疫病が再び流行った。そなたは里々を巡り患者を診た。眠ることも、まともに食すこともできなかった。人々は休めと言ったが、そなたは止まらなかった。「我が休めば、誰があの人々を診るか」。それのみであった。 四十五のある春、そなた自身もその疫病に罹った。そなたは知った。患者と長く居過ぎたのだ。最後の数日、そなたは自らの薬房の片隅に臥し、患者に処方を書いて与えた。そなたの手は震えたが、そなたの字は最後まで明瞭であった。 そなたが去る暁、薬房の前には里人皆が集まっていた。そなたが救った人々であった。彼らの哭する声が鍾路に満ちた。そなたの妻はそなたの手を取りて言った。「あなたはあの人々を救われた」。そなたは微笑んだ。「それが我が生涯の業であった」。それがそなたの最後の言葉であった。 そなたの医術は二児に伝わり、その子らがまた他の人々を救った。そなたの薬房は百年を経てもその場にあった。そなたは去ったが、そなたの手が救った人々の子孫が今もどこかで生きておるであろう。 そなたは人を救う事を愛し、愛した事を最後まで成した。それがそなたの人生であり、そなたの魂であった。




