前世の物語
そなたは正祖五年、ある平民の家門に生まれた。そなたの父は褓負商であり、母は里の小さき市場にて座板を広げる女であった。幼き頃よりそなたの手には常に銭があり、そなたの耳には商いする人々の声が満ちていた。それがそなたの子守唄であった。 五歳にして市場の全ての商人を知り、七歳にして銭を数える法を学んだ。そなたの母はそなたに申された。「信用は黄金より重し」。幼きそなたはその言葉を充分に解せなかったが、母の手より手へ渡される銭を見ながら、それが何であるかを朧げに知った。 十三になる年、そなたは初めて父に従いて道を出た。背に小さき荷を負い、漢陽より忠清道へ、忠清道より慶尚道へ。その道にて人を見た。富める両班の傲り、貧しき農夫の深きため息、山中寺院の静けさ、川辺漁夫の荒き手。その全てがそなたの学問となった。 二十にしてそなたは己の荷を持つようになった。もはや父の影にあらず。最初の取引にて大いなる損を被った。欲が先んじたのだ。その夜客主にて、そなたは母の言葉を思い出した。「信用は黄金より重し」。次の取引より、そなたは正直に行った。ゆっくりと、ゆっくりと、されど堅く。 二十五にしてそなたは一人の処女に出会った。ある市場の座板主の娘であった。そなたの背の荷を見て一度笑ってくれたその処女に、そなたは心を奪われた。二年を通いて誠を尽くし、そなたらは婚姻した。そなたの荷は重くなったが、足取りは軽くなった。 三十にしてそなたは小さき店を開いた。褓負商より客主となったのだ。されどそなたは店にのみ座しはしなかった。月の半ばは未だ道の上にあり、月の半ばは店にて人と会った。「人を忘れば商人にあらず」がそなたの信条であった。 四十になる年、大いなる凶年が訪れた。他の商人らが値を上げる中、そなたはむしろ値を下げた。「今こそ信用を示す時」とそなたは言われた。その年そなたは大いなる損を被ったが、翌年よりそなたの店は漢陽にて最も人多き所となった。 五十にしてそなたは大いなる富者となっていた。されどそなたの衣は未だ平民の麻服であり、そなたの飯床は未だ麦飯であった。そなたは子らに申された。「財は軽し。信用のみが重し」。そなたの子三人がその言を胸に刻んだ。 五十八になる年、そなたは最後の道を出た。いつものように背に荷を負いて。ある小さき里に着き客主にて眠ったが、翌朝目覚めなかった。客主の主がそなたの荷を解けば、その中に取引帳一冊と里々にてそなたが助けた人々の名がぎっしりと記された紙束があった。 そなたの葬には漢陽のみならず八道より人々が集った。そなたと取引した者、そなたが助けた者、そなたに一度でも会いし者。彼らは一様に申した。「あの人は約束を守る人であった」。 そなたは生涯を道の上に過ごした。されど道に迷わなかった。母が教えしその一言——信用は黄金より重し——それがそなたの道標であったからだ。




